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賣太神社と稗田環濠集落地 (大和郡山市) 古より静かに水をたたえる濠とその内へ

賣太神社の鳥居

 近鉄大和郡山駅から柳町商店街を抜け、正面に春日山を眺めながら田園の中を20分ほど歩くと、稗田環濠集落地に立ち入ったことがわかる。入り組んだ路地と民家の白壁に沿うように濠が続いており、ゆっくりとした時間が流れる地だ。

 

 賣太神社を中心に約100軒程の民家で組成されるこの稗田環濠集落は、近代に改修が行われているものの室町時代から現存し、古くは1444年「経覚私要鈔」にその存在が記されている。集落は四方に約260平方メートルの規模があり、道はT字形に交差したり、袋小路になっていて遠くが見通せないようになっている。戦国時代には城砦的な役割もはたしていたのだろう。争乱や天災などいくつもの歴史を経てなお、濠は静かに水をたたえている。

 

拝殿の前には前日行われたとんどの名残も

 集落の中を進むとほどなくして賣太神社にたどり着いた。主斉神である稗田阿礼は、記憶力と理解力に優れた人物であったことから日本最古の歴史書「古事記」の編纂に携わり、現在は学問の神様として信仰を集めている。

 

 宮司の藤本保文さん(68)によると古代、大和平野に造成された南北に通じる下ツ道・中ツ道・上ツ道の三道は奈良時代に入り、下ツ道を基準に平城京の朱雀大路が作られたそうだ。稗田集落はその下ツ道沿いに位置する。都の入口である羅城門から南にまっすぐのびた下ツ道は西側と東側に運河を有し、政府の要人や外国からの使節でにぎわっていた。稗田集落には、往来する人々が渡る大きな橋もあったことが稗田遺跡からも推測されるという。

 

宮司の藤本保文さん

 「今から『古事記』の輪読会に行く」と穏やかに話す藤本さん。どことなく稗田阿礼を思い起こさせ、印象に残る出会いとなった。(い)

 

濠の北側には裏鳥居

アクセスマップ

地図

賣太神社

大和郡山市稗田町

※このページの内容は2016年2月5日現在のものです。

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