スニーカーにはきかえて

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猫塚古墳(五條市)

静かな田畑の真ん中 ひっそりとたたずむ

小さなログハウスのJR北宇智駅から、ゆっくり歩いて30分の場所に猫塚古墳がある。猫塚の名前は貴人の呼び名の末尾にネコという言葉が使われていたことに由来するようだ。変わった名前にひかれて調べた猫塚だったが、本物の猫が埋葬されていたわけではない。この辺りは円形、正方形の小さな古墳がたくさんある。その中で猫塚だけ異国形式の埋葬品が多数発見されたのだ。

まず駅前のクリーニング屋の北方向に歩き、そこから焼きもちの看板のある西方向へ進む。民家が集中しているのはこの辺りだけで、田畑が一面に広がる田舎道だ。京奈和道の側道に出たら、南へ進んでいくと目指す古墳が見えてくる。田んぼの真ん中にぽつんと小山があり、小山の上に猫塚古墳の案内看板がある。注意していないと見過ごしてしまうような場所に目指す古墳があった。

案内してくれた五條市教育委員会文化財課学芸員の前坂尚志さん(41)が、何気なく素焼きのかけらを拾いながら「今でも埴輪のかけらが拾えます。こうして発見された埴輪は地元の教育委員会に提出してください」と話す。

かつての栄華 小さな古墳に

 猫塚は昭和32年に畑として開墾した際、地主が珍しい埋葬品を見つけたことから、昭和33年に本格的に調査された古墳だ。龍文帯金具や蒙古鉢形眉庇付冑(奈良国立博物館所蔵)など、明らかに異国の技術で作られた物は、かつて紀ノ川を上ってきた大陸系渡来人が五條の豪族に技術を伝えたとされている。金属加工技術、金メッキは当時最先端のめずらしい技術だった。古墳時代、この地域の豪族は技術者集団として渡来人の2世、3世も側におき、かなりの権力をにぎっていたようだ。それなのにこの辺りの古墳群はどれも小さい。大和政権から何らかの規制があったのではないかと推測されている。

猫塚は誰を埋葬していたかは分かっていない。また技術者集団もどこへ消えたか分かっていない。足元の土のほんの50儔爾5世紀の文化が埋もれているそうだ。きっと解明されるのはまだ先の未来なのだろう。  (え)


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見過ごしてしまいそうな、小山が猫塚古墳

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ログハウスの駅舎。時刻表も大きく表示

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小石など混ざっている
素焼きの埴輪のかけら

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案内の前坂さん

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猫塚古墳

五條市西河内町