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馬場塚(安堵町) 武田信玄重臣の供養塔 安堵に残る歴史ミステリー

 田んぼの真ん中に1本の大きな木が見える。その根本に、高さ1メートル足らずの小さな塔がぽつんと. それが馬場塚だ。武将武田信玄の重臣で武田二十四将の一人と言われた馬場美濃守信房(ばばみののかみのぶふさ)の供養塔といわれている。平成25年春に周辺が整備され、気楽に近くまで行くことができるようになった。

信房は、信玄の父・信虎から子の勝頼まで三代にわたって武田家に仕え、多くの武功を上げてきた。最後は織田信長との長篠の戦いで戦死したと伝わる。
塔は、空・風・火・水・地の5要素からなる五輪塔で、地輪部の4面には、信房について記されており、この銘文は戦国時代に彫られたであろうといわれる。

ではなぜ、この安堵なのか。考えられる説は3つあるという。

一つ目は、大正5年の「神社調査書」によると、信房の子・脇之進信久が長篠の戦い以降大和に落ち延び塚を築いたとされる説。

二つ目は、郡山城主・筒井家は長篠の戦いで鉄砲隊を派遣。その隊のリーダーが中西伊予という人物で、王寺周辺に所領があったらしく、その中西氏が信房の関係者に遭遇し連れ帰り、この地域に住まわせたとの説。

三つ目は、塚のある窪田地区内には国指定重要文化財の中家住宅がある。中家は元武家で、同じく筒井家に仕えていたことから、長篠の戦いに出陣し、信房の関係者に遭遇して連れて帰ったという説。

安堵町ボランティアガイドの会会長の大西嘉子さん(67)は「史実が残っていないので、解明は不可能なんです」と話す。ただ、供養塔がある窪田地区とその南にある南吐田地区には、今も馬場姓の家があるというが、これは何を意味するのか。「歴史に謎はつきもの。想像を膨らませながら、散策を楽しんでください」という大西さんの話を聞いたあと、塚のそばにある大きな木だけが、その事実を知っているのではないか.と、ふと木を見上げた。(千)

写真

田んぼの中に
飛び地のようにある馬場塚。
平成25年春に周辺が整備された

写真

地輪部(塚中央の立方体の石)に、
信春の功績や最期について
記されているが、風化が進み、
その場で読み取ることは難しい

地図

馬場塚

生駒郡安堵町