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筒井順慶歴史公園 筒井城跡 (大和郡山市筒井町)

天下を目指し、名を上げるために全国各地で男たちが戦いあった戦国時代―。この奈良の地でも戦いは行われていた。その武将の一人、今も地名にその名を残す筒井順慶ゆかりの地を訪ねた。

織田信長や豊臣秀吉など、誰もが知っているであろう戦国武将とまさに同じ時代に生きた武将である。まず訪ねたのは近鉄平端駅から徒歩数分の所にある、筒井順慶歴史公園である。ここは筒井順慶の墓所で、五輪塔覆堂が建てられている。道を挟んだ向かいには一般の墓地もあり、ひっそりとたたずんでいた。

次に筒井城跡に向かった。筒井城は近鉄筒井駅の北東エリアにあったとされている。駅前の商店街を北に、また細い道を東にと北東に進むとそのうち「筒井順慶顕彰会」によって建てられた小さな標章が目に入った。その標章に導かれながら、住宅地を進む。順慶の像があるという光専寺の角で、標章に従い南に折れた所で進む先が分からなくなった。

畑でハクサイを収穫している男性に尋ねると、ちょうどその畑の奥にある細い道を進んだ所に城跡を示す石碑があるということだった。この辺り一体が戦国時代には筒井城だったのだろう。「筒井順慶城趾」と書かれた石碑が畑の隅にひっそりと立っていた。

筒井順慶についてはこんな伝説が残っている。明智光秀は本能寺で織田信長を討った後、交流のあった順慶に加勢を求めた。順慶は大阪と京都の境にある洞ケ峠で戦況を見ながら、光秀の味方に付くかどうかを傍観していたという話で、日和見主義の代名詞のように言われる事もある。

しかし、実際は洞ケ峠にいたのは光秀で順慶は当時の城である郡山城で協議を重ねていたということだ。「自分がどう言われようと、郷土を守る事を一番に考える武将だったのでしょう」と話すのは筒井順慶顕彰会会長の藤本賢司さん。人を殺すことを嫌い、信長に怒られたという話も残っているそうだ。

もし順慶が明智方についていれば、もしかしたら歴史は大きく変わっていたかもしれない。天下を目指し、名を上げるわけではない。郷土を守るために戦った、彼は奈良らしい武将であったと言えるかもしれない。(久)

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地図

筒井城跡

大和郡山市筒井町