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吉隠の猪養の岡の

「降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに」

(万葉集巻2-203・穂積皇子)

今回は、万葉集にいくつか歌われる「悲恋」の地の1つを実際に訪れてみた。

但馬皇女の陵墓 まだ発見されず

冬の時期に行くには、少しさみし過ぎるので、暖かくなってきたころに来た。今も、桜井市に「吉隠(よなばり)」の地名は残るが、「猪養(いかい)の岡」の確たる場所は特定されていない。読んで字のごとく、当時は猪を放牧していた場所だったのではないかといわれている。

吉隠に住む竹田勝彦さん(桜井市観光課主幹)は、「地形的にも、多分ここではないかという予測場所はある。当時の藤原宮からも見えた位置でもあり、 穂積皇子も岡を望みながら歌ったのでは」と話す。歌碑が建つ吉隠公民館後方の広い一帯が猪養の地としてあり、その一角に但馬皇女の陵(みささぎ)が設けら れたのではと思われるが、発掘にはまだ至らないようだ。

国道165号線から少し入った公民館周辺は、時折り電車の通る音もするが、のどかな地でもある。ベンチに腰掛け、猪養の岡と思われる方角を眺め、しばし万葉の時代に思いを馳せてみた。このまま、場所が特定されないのも、想像するロマンがあっていいのかもしれない。

2人の歌が物語る 恋のせつなさ

「雪よ、そんなに降るな。猪養の岡に眠るあの人が寒がるから」と、亡くなった恋人を思って歌ったのは万葉の時代、天武天皇の皇子の1人、穂積皇子。 猪養の岡に眠るのは、同じく天武天皇の皇女の但馬皇女。すでに、異母兄でもあり、朝廷でも重きをなしていた高市皇子の妻であった皇女との恋は、当時におい てもスキャンダルな出来事だったようで、万葉集に残る2人のいくつかの歌からも伝わってくる。

「亡くなった異母妹(恋人)を思うこの気持ちのように、人を思いやる心をみんなが持ってくれたら」と、桜井市産業経済部観光課の林勤さんは話す。林 さんは、地元の公民館などで桜井の歴史などを話す機会も多く、この歌にも心惹かれるという。ぜひ子ども達にこそ、歌を学んでもらいたいとも。

皇女の死後、平城の地に移り、親王として最高位の1品に列せられ、知太政官事(今なら総理大臣くらいか)として重用された穂積皇子。晩年歌った「家 にありし 櫃に鍵さし 蔵めてし 恋の奴の つかみかかりて」(万葉集巻16-3816)は、果たして新しい恋に出会えたからか、それとも但馬皇女への忘れられない 思いを歌ったものなのか。

吉隠から西へ少しくだったところには、但馬皇女の歌碑もあるという。今度は、雪の降る日に行ってみようか。(康)

写真

吉隠公民館後方一帯が
「猪養の岡」といわれている

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歌碑が静かにたたずむ

地図

吉隠公民館

桜井市初瀬