スニーカーにはきかえて

インデックスに戻る

粟原寺跡(桜井市)額田王か大嶋の妻子か 終焉の地伝説

大宇陀へ向かう国道の近くに、まだ発掘調査していない粟原寺跡があると聞いて、行ってみることにした。

桜井駅の南側、休業日なのかひっそりとした商店街を東へ進む、そこから川沿いに歩いていく。一部国道166号線の歩道以外は、国道と並行している側道があるので、車を気にせず、田畑を眺めながらのんびりと歩いて行ける。左手に小さな公園 が見えたら、今度は右手の集落に向かって山に登っていく。集落内は手作りの案内看板があって迷うことはない。ただ急坂で息が切れそうになる。 集落のさらに上、神社裏手に目指す粟原寺があった。今は柱跡と塔だけが残る寺跡だが、元々の敷地はかなり広い。木々が生い茂る山中に立派な拝殿があったようだ。

かつて草壁皇子の菩提を弔う寺として発願した中臣朝臣大嶋。大嶋の死後意志を引き継いで比売朝臣額田が22年かけて建てられた寺と、残っていた伏鉢(ふくばち)に記されている。

この比売朝臣額田とは誰かということが研究者たちの興味を引き、諸説伝えられているのだ。一つには「額田王終焉(えん)地説」。額田王の王を剥奪されて朝臣に格下げされたのではないかと言われていること。もう一つは「中臣朝臣大嶋の妻または長子説 」。中臣氏である大嶋が亡くなったあとに、彼の意志を引き継ぐのは妻か子どもである方が自然であるということ。時代背景を考えた説のため、どちらも正しく、間違いと言うことができないのだ。

大きな柱があったであろう石の土台に苔や水溜まりができている。廃寺となってはや数世紀。時が流れようと変わらない景色が続いていくのだろう。小さく動く人や車、忙しい現在のようすを、時が止まった寺跡から眺めるのも何ともいえない気持ちだ。 (え)

写真

粟原寺跡

写真

桜井駅前の本町とおり

写真

粟原地区の急坂

地図

粟原寺跡

桜井市