スニーカーにはきかえて

インデックスに戻る

栗原寺跡と桧隈寺跡(明日香村)

多くの観光客が訪れる明日香村で、栗原寺跡や桧隈寺跡まで足を延ばす人は少ないのではないだろうか。西暦700年、法相宗の祖である道昭 (629〜700)という僧が、火葬によってその死を見送られた。歴史上、これが日本で初めての「火葬」といわれ、その地は、明日香村栗原であったと伝え られている。

現在の栗原を含む、桧前(ひのくま)一帯は、かつて東漢(やまとのあや)氏などの渡来人が多く住まう地であったらしい。栗原寺も、それら渡来系氏族が建て たものだろうか。今はわずかに残る礎石も、一見それと分からない少し離れた場所にある。現在、大師堂が建っている周辺、この「栗原」と呼ばれる地のどこか で、道昭は荼毘に付されたと続日本紀は記す。

道昭は、遣唐使として海を渡り(653年)、かの有名な三蔵法師(玄奘三蔵)に師事した後、飛鳥寺に東南禅院を建てたと伝わる。近鉄奈良駅前の噴水や、東大寺の大仏建立で有名な行基の師でもある。火葬は遺言であり、その骨は風に撒かれたとも。多くの弟子たちが見守り、見送ったであろうその死は、何を 彼らに伝えたのだろうか。

そして、栗原寺跡に行くのなら、ぜひ桧隈寺跡にも寄ってもらいたい。ここもまた、その礎石によって存在を知ることができる。「塔を中心とした伽藍配 置もそうだが、瓦積基壇もめずらしい」と、飛鳥京観光ボランティアガイドの木村三彦さん(68)。今は於美阿志神社が建ち、塔のあった場所には平安時代に 建てられた13重塔が、重要文化財として残る。

桧隈寺跡からは、栗原一帯が見渡せ、高松塚古墳の覆屋も案外近くに見える。「ここから見える、ところどころ小高くなっているどこかで、道昭さんは火葬されたのかもしれませんね」と木村さん。

後れること2年、持統天皇も天皇として初めて火葬され、以後へと受け継がれていく。(康)

写真

竹林寺に残る栗原寺の礎石

写真

大師堂と木村さん

写真

桧隈寺跡から栗原一帯を望む

写真

桧隈寺の構堂跡

地図

栗原寺跡

高市郡明日香村