スニーカーにはきかえて

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柿本人麻呂の像 (天理市櫟本町)

国道169号線沿い、名阪国道の少し北側に和邇下神社の参道へと続く鳥居が立っている。一般車の立ち入りは禁止されているが、中には民家もあり鳥居をくぐって車も入っていく。

参道を奥に進むと、神社にたどり着く前にゲートボールをしている人たちの姿が見える。その広場の向こうが柿本人麻呂縁の「柿本寺(しほんじ)跡」とされ、近くには「歌塚」と書かれた碑や柿本人麻呂の像がある。

柿本人麻呂といえば、万葉集を習えば必ず聞く名前。「東の 野にかぎろひの たつ見えて―」の歌は多くの人が一度は覚えたのではないだろうか。しかし、人麻呂は歴史書に記されるのではなく文学の世界で活躍しているため、生まれや没年、亡くなった場所などその姿は謎に包まれている。ここに建てられた像は、柿本寺に古くから保存されていた柿本人麻呂像を模したそうだ。

櫟本は今も名阪国道と西名阪自動車道へのインターチェンジがあるが、古くから交通の要所となっている。人麻呂に縁があると思われる柿本寺は奈良時代にはあったとされるが、江戸時代の古地図では場所を変えている。昭和になってその柿本寺も廃寺となり、近くの極楽寺が柿本寺に残されていた宝物などを引き継いで管理している。

極楽寺に伝わる話によると、「歌塚」の碑は江戸時代に建てられたそうだ。鎌倉時代に製作された「柿本宮曼荼羅」にも塚は描かれており、人麻呂の遺髪が埋められていると伝えられていたが、その場所はさびれていた。そこで人麻呂を顕彰するために当時の柿本寺住職が碑を建てたそうだ。後西天皇の皇女宝鏡尼の揮毫だという「歌塚」という文字の原書は極楽寺に残っている。

それから数百年。再び柿本人麻呂を顕彰しようと、極楽寺の前住職が平成17年に人麻呂の像を建て、毎年法要が行われている。また愛らしいカエルの石像も造られ、「人麿の 御霊六蛙 蛙かな 詰まった詩歌も よみ蛙」というしゃれを含んだ歌の碑もあって笑いを誘う。

「人麻呂公について整理を進めており、極楽寺の資料室で公開していきます」と話すのは極楽寺檀家総代の吉本好宏さん(75)。歌聖と呼ばれる柿本人麻呂はこの地でどのような風景を見ていたのか―。明るい表情の像を見ていると、古の聖人もどこか身近な存在に感じられた。 (久)

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どこかで見たことのあるような 人麻呂像

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江戸時代に建てられた「歌塚」の碑

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人麻呂の像

天理市櫟本町