スニーカーにはきかえて

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龍王山城跡 (天理市)

今にも雨が降りそうな夏の夜、龍王山に向かって「ホイホイ」と叫ぶと、火の玉がジャンジャンとうなりながら襲い掛かってくる―。そんな伝説の残る龍王山を訪ねた。

今年の大河ドラマでは戦国時代の北陸地方が舞台となっているが、奈良にも多くの山城が築かれている。龍王山にも十市氏が城郭を築き、その規模は全国的に見ても引けを取らないという。

城は南城と北城の2つに分かれている。まず向かったのは南城。途中は遊歩道や車道も整備されているが、山頂へは不ぞろいな石段を登る。この石段も戦国時代当時のものだという。それまでほとんど人に出会わなかったが、本丸跡では歌の会のグループが大和盆地を眺めながら勉強会を行っていた。東を向くと「青垣」という言葉はこのことか―と思うような風景が広がっている。

北城は南城とはまた異なった雰囲気である。木々のトンネルの間を進み、ロープが添えてあるような急な石段を上がる。途中で石垣の跡のようなものも確認できた。突然表れた平地が本丸跡らしい。一面落ち葉で覆われ、降ったばかりの雪道を歩く気分になった。

素人にはなかなか城郭跡を見つけるのは難しい。各地の城郭を訪ね歩き、研究を続ける西野剛史さんによると、明らかに人の手が入っている場所はあちらこちらに見られるという。ただし山城が造られる時は木はすべて伐採されるそうで、当時の風景はまったく異なるものだったようだ。

登るのも大変な山の上にどうして城を造るのか。そんな単純な疑問に、西野さんは「戦乱が激しくなると平地より山城の方が攻められにくく安全。これだけの規模なので居住性も持っていたのでしょう」と答えてくれた。もっと東の山中にも山城の跡は多くあるという。戦乱が起こると山城に避難し、チャンスを見て打って出る―。本丸からの景色を見ていると、確かに攻めるのは難しそうである。

しかし、龍王山城は1568年に大きな抵抗をすることなく秋山氏に攻め落とされている。そして織田信長や豊臣秀吉が歴史の表舞台に登場し、戦国時代も終わりを迎えることとなる。

最近、歴史がブームとなり「歴女」という言葉も生まれている。中でも戦国時代は独特な魅力を持っている。それは彼らの生き様が、今の時代が忘れているものを思い出させてくれるからかもしれない。(久)

写真

十市遠忠によって本格的に
城郭造りがなされた

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石垣の跡のようなものは
あちこちに見られる

地図

龍王山城跡

天理市柳本町