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高山右近の碑(宇陀郡・榛原町)

沢城跡のふもとに、高山右近の碑がある。日本史の授業で、キリシタン大名として学んだ人物だ。彼は少年時代を榛原町で過ごしたという。数年前、大河 ドラマですらりとした長身の俳優が右近役を演じていたことを思い出し、勝手な右近像を頭に描きながら、ゆかりの地を訪ねてみた。

比布バス停から東へ歩く。1人で歩くと少し距離を感じる。伊那佐文化センターを過ぎると、のどかな田園風景が広がり、小高い山が左手に見えてきた。 沢城は、伊那佐山から南東に延びる標高約525mの山頂に造られた山城である。右近の父である高山飛騨守図書が沢城を支配したのは永禄3年(1560 年)。この地で12歳になった右近は、母や家臣150人と洗礼を受け、20歳まで過ごした。

稲穂が揺れ、天高く広がる空。右近少年の目に、榛原の地はどのように映ったのだろう―。その後、右近は高山城主や明石城主を任され、武将として名を 馳せる。また、利休七哲の1人に数えられ、文化人としても優れた能力を発揮。その人柄も信長や秀吉から高く評価されたと伝えられている。大貝・沢史跡顕彰 会の横山善彦さんは、「平和な時代を生きている今の子どもたちに、数奇な人生を立派に生きた“右近の人柄”そのものを伝えていきたい」と話す。記念碑付近 では、毎年、地域ぐるみで子どもの日に「右近こどもまつり」を行い、右近が少年時代を過ごした沢城のふもとに子どもたちが集まる。

晩年、徳川家康のキリスト教禁止令によってマニラに追放された右近は、その地で永眠し、二度と日本へ戻ることはなかった。しかし、自分の信仰を最後 までつらぬいた姿は、今も語り継がれている。洗礼名は「ジュスト」。正義を意味する。思い描いていた右近像は、さらに魅力的なものになった。(真)

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記念碑から沢城跡を望む

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「ダリヨ&ジュストの道」という道標。
ハイキングコースにもなっている

地図

高山右近の碑

宇陀郡・榛原町