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宇太水分神社(宇陀郡・兎田野町)

「青丹よし」とは奈良に掛かる枕詞である。正しい意味は別にあるのだろうが、受験期の記憶方法からか、私は青々とした緑の中に朱塗りの建物が映える―そんな風景を思い浮かべる。

場所も時代も異なるが、そんな風景に宇陀の地で出会った。初夏の緑を背景に、鮮やかな朱色に塗り直されたばかりの社殿が並び建つ。菟田野町古市場の宇太水分(みくまり)神社である。

もともと国宝の本殿を持つことでもよく知られている。このほど30年ぶりに桧皮屋根と塗装の修理を行った際、社殿の長押(なげし)や柱の文様の彩色 のうち、最も古いものは室町時代の後期、永禄元(1558)年に施されたということが分かった。神社建築の彩色では最古の例である。この春彩色が復元さ れ、約450年ぶりに極彩色の菊やボタンなどの花文様や唐草文様が私たちの前に姿を現した。

普段は子どもたちの遊び場となっている静かな神社である。境内には樹齢数百年はあると思われる古木が茂っている。その中には、源頼朝が幼少時、大将 軍になれるかどうかを占うために植えさせたとされる頼朝杉や、敬神な老夫婦が植えた2本の杉がいつの間にか根元が1つになり、夫婦杉と呼ばれるようになっ たと伝わる古木もある。また、推古天皇が薬狩を行った時に心身を清めたと伝わる「薬の井」も残り、やまとの水にも選ばれている。

宇太水分神社は大和四水分社の一つであり、大和朝廷の時代より、生命の源である水を分配する神として崇拝され、地元で親しまれてきた神社である。 「450年前に祖先が厚い信仰心を持ち、こういった絵が描かれた。その思いに感謝します」と禰宜の三家秀子さんは話す。文化財としての価値はもちろんのこ と、それ以上に信仰心があってこそ描かれたのだという、その祖先の思いを感じてほしい。三家さんからはそんな思いがひしひしと伝わってきた。

その話を聞いて、改めて本殿を眺めた。紺色や金箔など、極彩色で描かれた文様は朱色の社殿を支え、この社を守ってきた鎮守の杜に自然と溶け込んでい る。450年前、豪華絢爛な桃山文化が花開くより前のこの山深い菟田野の地で、誰がどんな思いでこの絵を描いたのか、静寂の森の中で過去に思いを馳せ た。(久)

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外からでも屋根の下に彩色がうかがえる (本殿・国宝)

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根元が1つになった夫婦杉

地図

宇太水分神社

宇陀郡・兎田野町