スニーカーにはきかえて

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毛原廃寺跡(宇陀郡・室生村)

毛原廃寺―その存在自体が、まったく文献に登場しない寺院にもかかわらず、金堂の規模は唐招提寺の金堂にも引けをとらない大きさと考えられ、国指定 の史跡に指定されている。奈良時代の大寺であったであろうこの寺は、東大寺の大仏殿建立のための勅施入によって発展した板蝿杣(いたばえのそま・板蝿の地 にあり、木を植えて育て東大寺用の木材をとる山などのこと)の中心に位置することから、東大寺の杣支配所とも考えられている。

室生村と名張市に隣接する山添村毛原の地に、今は金堂跡、中門跡、南門跡など七堂伽藍を示す礎石のみが、畑や民家の間にひっそりと残されている。本 当にこんなところに大寺が、と思うくらい静かで、観光客も滅多に訪れそうもないのどかな風景は、逆に思う存分想像を膨らませることのできる絶好の場所でも ある。少し歩けば笠間川のせせらぎも聞こえ、散策も兼ねて歩けば、少し得した気分にもさせてくれる。

また近くには、自然石にお地蔵様が6体並んで彫られた磨崖仏が、周りの草木に溶け込み、この地を見守るようにあった。この「毛原廃寺跡六体地蔵」 は、毛原廃寺の境内の中に位置しながら、製作年代は室町時代の後期と思われ、廃寺になった後もここが信仰の地として語り継がれてきた証のような存在だ。

「山辺の御井を見がりて 神風の 伊勢の処女ども 相見つるかも」(万葉集巻一・八十一)―和銅5(712)年に長田王が詠んだこの「山辺の御井」 のはっきりとした所在は、いまだ分かっていないが、この毛原廃寺の礎石群の中に伝承として残る「山辺の御井」が本物とすれば、長田王が実際に訪れ、詠んだ であろうこの歌の意味が、場所とともに真に心に響くものとして、訪れた人のなかに残るのではないだろうか。しかし、時代を経てなおその姿をとどめているこ の井戸は、それだけですでに感動を与えてくれる。

奈良時代の寺院が数々現存するなかで、「廃寺」としてでもその存在が残るどころか、文献にも登場しない謎の寺院―毛原廃寺。数々の礎石が語りかけるものは何なのか‥その時代に思いを馳せるに充分な地であった。(康)

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金堂跡の礎石。規模は唐招提寺の金堂に引けをとらない大きさだったらしい

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幅1mくらいのかわいらしい六体地蔵

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毛原廃寺跡

宇陀郡・室生村