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染田天神講連歌堂(宇陀市)日本極彩色によみがえった中世文学の里

 宇陀から奈良市内に向かう途中、「連歌の里」と書かれた、まだ新しい看板が目に入り、気になった。後日、改めて看板に従って山道を進んでみた。

たどり着いたのは、入母屋造りの民家が田園の中に建ち並ぶ、染田という地区にある春日神社である。その日は地元の人たちが集まり、境内にある連歌堂も開かれる年に数回のうちの一日で、幸運にも連歌堂の中を見せてもらうことができた。

平成23〜24年度にかけて保存修理されたという建物は、すべてを一度解体し、材料はそのままに復元されたそうだ。堂内の一番奥には鮮やかな極彩色によみがえった厨子がまつられている。

「ここは小さいころの遊び場でした。厨子の上に乗って遊んでいましたよ」と、連歌堂を案内してくれた近くに住むという男性(54)は話す。保存修理される前は誰でも入ることができる状態だったそうだ。昔から地元に親しまれている神社の境内にあるお堂だが、実は県の指定有形民俗文化財に指定されている。

南北朝時代、地侍の多田順実(よりざね)が天神御影をまつったのが始まりで、地侍が中心となって催す連歌会が16世紀中ごろまで200年に渡って続けられた様子が資料として残されているという。その資料は貴重なもので、3年前国の指定重要文化財に指定。資料は以前から奈良国立博物館で保管されている。

連歌会とは複数の人が歌をつなげながら一つの作品を作るもの。南北朝時代には武士団が結束を強めるに使われていたとも伝わる。

保存修理された後、芥川賞作家の高城修三さんがこの地を訪れ、連歌堂での連歌会を復活。毎年秋に連歌会が開かれ、観光バスで県外から多くの人が訪れるそうだ。

連歌堂の隣に古い寺がある。その前に残された、古くなったジャングルジムとブランコに、子どもの遊び場だった名残を感じる。650年ほど昔、車もない時代にこの山里にどうやって地侍たちが集ったのか―。今は武士や戦国という名前とは無縁に平和な風景が広がる地に、中世文学の里として新たな息遣いを感じた。 (久)

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鮮やかな厨子の中には菅原道真
公の御影がまつられている

地図

染田天神講連歌堂

宇陀市室生染田275(春日神社境内)