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常光寺と伊勢街道 (大和高田市)

「八百屋お七」といえば、井原西鶴の「好色五人女」の中に描かれている女性の一人。火事で避難した先の寺で恋に落ち、最後にはその人に会いたいあまりに放火をして火刑になったという話はあまりに有名だ。あるサイトで、奈良県出身の人物にそのお七の名前があるのを見つけ、気になったので調べてみると、大和高田市の常光寺にその墓があるという。

JR高田駅から南へ歩いて約10分、八幡神社を過ぎてしばらく行くと、小さな踏み切りの向こうに門が見えた。くぐって中に入ってみると、ちょうどまっすぐ目の前、本堂の脇の地蔵尊の横に「お七の墓」と書かれた古い立て札を発見。その前に小さな墓が立っている。

住職に話を聞くと、これが確かにお七の墓、正確にはお七のモデルになったと伝わる「志ち」の墓なのだそうだ。同寺にはほかにも、この志ちを弔って作ったと伝わる大じゅず(現在は火事で焼失)や、死刑にされた三人の志ちの名前が記録された享保年間の過去帳が残っている。

常光寺はもともと領主である当麻氏の菩提寺で、すぐ南側には伊勢街道があり、周辺は昔から人の行き来が活発なところだった。関西人だったという西鶴もここを通った一人で、同街道などを歩いた紀行文を綴っている。奈良の「志ち」の物語を聞いた西鶴が、江戸を舞台に創作したのが「八百屋お七」ではないか、ということなのだそうだ。

寺を出て、その水がやけどに効くと伝わっていた「お七川」と呼ばれる川(今は溝)まで歩いてみた。寺の北側、八幡神社の道を挟んだ専門学校の前にある。何の目印もなく、話に聞いた通り本当にただの溝。昔はこの川のことやお七伝説の話をする人も多かったが、今はあまりいないそうだ。

再び寺の方向に向かって歩き、伊勢街道に入る。東側に見える大神宮の高灯籠だけが、当時の賑わいを想像させてくれた。

人から人へ口伝えに伝説や歴史が伝わり、そこから物語も作られる。そうして生まれたといわれる八百屋お七物語の伝説を語り継ぐ人が減っているのは、なんだか少し寂しい。 (花)

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常光寺の門。奥には小学校が見える

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本堂脇にひっそりと立つ志ちの墓

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かつてお七川と呼ばれていた川(今は溝)

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伊勢街道の旅の道しるべだった
大神宮の高灯籠

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常光寺

大和高田市旭北町