スニーカーにはきかえて

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平維盛歴史の里(吉野郡野迫川村)

野迫川村は雲の向こうにある。国道168号線から野迫川村方面に折れ、尾根伝いに険しい山をいくつもいくつも越える。役場も過ぎ、さらに山道を進むと「平」という標識が見え、次の角を曲がると集落があり「平家維盛歴史の里」と書かれた大きな看板があった。

ここが源平の戦いで敗れた平維盛(これもり)が最期を迎えたと伝えられている地である。平維盛は平家の黄金時代を作った平清盛の孫であり、大変な美男子であったらしい。そのためもあるのだろうか、紀伊山中には維盛に関するさまざまな伝説が残っている。

「平家物語」によると、一ノ谷の合戦後、維盛は熊野に逃れ那智で入水したとされている。この地に伝わる話は少し違っており、維盛は使者として熊野別当湛増 に援助を求めに行く。しかし源氏優勢と見た湛増は援助を断り、維盛と娘を結婚させて維盛をかくまう。源頼朝が平家狩りを行う中、熊野山中各地を転々としな がら、この野迫川平の地にたどり着き、61歳で人生を終えたという−。

里人が彼をしのんで建てたという維盛塚が残っている。塚の向こう側は深い谷になっており、まさに自然の砦である。しかし反対側を見れば、歴史の里に作られた資料館や民家がのどかな山里の風景を作り出している。

資料館は以前は管理人もいたそうだが、今は朝夕の施錠に近所の人が来るだけで自由に入ることができる。中にはこの地に伝わる維盛の生涯を記したパネルや維盛のレプリカが飾られている。

歴史の里の向かいに、つい見落としてしまいそうになる鳥居があった。入ると道幅より太いような高い杉の木が立ち並び、木に挟まれるように弁天社と勝手神社 という銘のついた2つの社があった。先ほどの資料館に里人が維盛の死を悲しみ神社(勝手神社)を建立したという説明もあった。その神社であろう。木々に守 られるように、山の斜面にひっそりと建っていた。

800年以上も昔の話。真実がどうであったか、それは謎である。しかし落武者が隠れていたと想像すると、ここが平家の里にも見えてくる。この地には800年前と同じ静けさが残っている。(久)

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後白河法皇50歳の祝いに
「青海波」を舞う維盛。
その容姿の美麗さから犧梅将軍
とたたえられたという

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地図

平家維盛歴史の里

吉野郡野迫川村