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天一神社 (東吉野村)

東吉野村日裏という山中にある集落に、室町時代から続く天一神社がある。詳細な地図を見ても神社の印があるかどうか、また登記名が天神社となってい るため「天一神社」という名称はほとんど知られていない。ここでお参りしたことで、何年も子宝に恵まれなかった夫婦に子どもが授かったという話を伝え聞 き、訪ねてみることにした。

丹生川上神社の近く、キャンプ場入口の赤い橋から、狭い道をずっと登り続ける。舗装された道に苔がはえている。川沿いの谷間の道は木々でおおわれた暗い 道。電柱がなければ、この先に集落があるとはとても思えないだろう。6kmほど登ると道が急に鋭角にカーブする。やがて視界がひらけ広場が見えた。広場を 通過すると小さな神社があった。

天一神社は「日裏の明神さん」とも呼ばれている。境内は落ち葉一つなく掃除が行き届いていた。山からひいた水が手水に使用されていたが、さわるとものすごく冷たかった。ここから数百メートル先に日裏の集落が点在する。住民が神社を代々守ってきたのだ。

「毎年旧暦9月9日(今年は10月7日)が祭りの日です。祭りのごくまき(餅まき)に男道具、女道具、男女が重なった形、亀、ヘビ、ウサギなどの形 のだんごが、多量の餅と一緒にまかれます。形のものを拾った人はいろいろなご利益があります」と、神社のお守りを預かる当屋(とうや)の つる井克往(つるいよしゆき)さん(72)はいう。

昔、炭屋の呉作の妻が杉の木の下で出産。その後次々に子宝に恵まれたそうだ。そこで呉作は杉を御神木とした天一神社を創建。今も御神木は杉の古木の根、本尊の裏手に鎮座しているそうだ。神社のお守りはお払いをした杉の皮を納めたもの。家内安全、安産のご利益がある。

祭りの日が近くなると、廃校利用した集会所に、およそ10人の村人が集って、お神酒、餅、だんごを手作りする。だんごの形は村人苦心の作である。祭りの 朝、およそ10時くらいからお渡りが始まる。地方にいる信者の人々、ご利益を伝え聞いた人々、子どもを授かった人たちも祭りに参加する。

村に常住しているのは3軒。週末に戻る2軒と空家も目立つ過疎化が進む小さな村だが、何とか後世に伝え続けてほしいと願わずにいられない。        (え)

 

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今年の祭まで当屋を務めるつる井さん。
手に持つのはお守り入れ。これを
次の当屋に渡す。

地図

天一神社

吉野郡東吉野村