スニーカーにはきかえて

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犬塚(吉野町)

今は廃校になった小学校の校庭の隅に犬塚がある。バス通りから小学校へと上がる急坂は、人が歩くことがなくなってから時間がたっているのだろう、ところどころに苔が生えていた。

壬申の乱で、大海人皇子が吉野町国栖に逃れた。窪垣内の川原で追っ手が迫ってきたとき、2人の舟渡し守に助けを求めたそうだ。2人はその高貴な人を助けよ うと機転をきかせて舟を裏返して中に隠し、舟祭りのように見せかけて榊や供え物を置いた。追っ手が差し向けた1匹の赤犬が舟の周りをかぎまわるので、舟渡 し守が石を投げて殺してしまったのだ。

「このことから窪垣内地区では誰も犬を飼っていません。犬を飼うと災いが起こるからです」という国栖観光協会の奥谷純子さんは、亡き母から伝え聞いた話を語る。その後、村人たちで丁重に供養し犬塚が建てられた。

現在の犬塚は川原近くあったものを移築したものだ。また川の対岸にあった集落も今はあとかたもない。舟渡し守の役目も時代と共に消えていったのだ。

大海人皇子が後に天武天皇になったとき、2人の舟渡し守に「殿」「翁」の屋号を授けた。翁という名前は翁橋という地名に残り、殿は人名で藤野(との)という名前で今日も続いている。また天武天皇が和紙と養蚕の技術を伝える。吉野和紙の始まりとなったのだ。
(え)

写真

校庭にひっそりとたたずむ

地図

犬塚

吉野郡吉野町