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天誅組終焉の地(吉野郡東吉野村) 維新の魁に命散らせた 志士らの霊魂祀り続け

 大河ドラマでもよく描かれる幕末。奈良県でもドラマのような出来事が起こっている。

 明治維新の5年前、その魁(さきがけ)として行動を起こし、京都の政変により一夜にして賊軍となった天誅組。その終焉の地となった東吉野村を訪ねた。

 村役場で、地図が切り離せる新しい観光パンフレットをもらう。役場から歩ける範囲にも多くの史跡があった。

 役場を出て橋を渡り、右へ進む。小学校があり、その隣に「天誅義士記念」の碑が建てられている。その奥は天誅義士や同じく命を落とした彦根藩士の菩提寺である宝泉寺がある。のどかな風景の中をさらに川に沿って進むと「天誅義士墓所」の碑があった。天誅組の墓所の一つ、明治谷(みよじだに)墓所だ。

 階段を上ると、立派な石垣の上に天誅組の中心人物である吉村寅太郎をはじめとする9人の志士の墓があり、新しいお花も供えられていた。

 明治谷墓所を後にし、今度は小川の街中に進む。その辺りから、天誅組史跡を紹介する白い看板があちらこちらに建てられている。目を通すと、文久3年9月24日の夕方、形勢不利となった天誅組が追討軍の彦根藩士とどのように衝突し、どのように戦って命を落としたかが詳しく書かれている。おそらく当時とそう景観を変えていないであろう高見川の流れを見ていると、155年前にこの地で起こった惨劇が目に浮かぶようだ。

 白い看板のある場所には石碑も一緒に建てられており、東吉野村の人々が、天誅組の志士を大切に祀ってきた様子がうかがえる。

 後日、元東吉野村教育長の阪本基義さん(75)に話を聞いた。「古くは壬申の乱、義経、後醍醐天皇や後南朝など、吉野地方は中央政権から追われた人々をいつも受け入れてきた土地柄です。天誅組の変で若い命を散らした志士たちの霊魂を155年も祀り続けてきた東吉野村の人々も、やはり吉野人なのでしょう」とのこと。

 東吉野村からの帰り、湯ノ谷墓所にも立ち寄った。きれいに整備されている。「私はこの営みを山の民のやさしさと呼んで誇りに思っています」。そう話す阪本さんの言葉が心に残る。 (久)

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天誅義士記念