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浄見原神社(吉野町) 1300年の時を経て 日本書紀の風景伝える

明日香村の飛鳥浄御原宮は、天武天皇が即位した宮殿として、歴史の教科書でも習った記憶がある。吉野町に同じ名前を持つ神社があると知り訪ねた。
 大海人皇子(後の天武天皇)が大津京から逃れ、後に挙兵した吉野宮であるとされる宮滝遺跡を過ぎ、国道169号線から左に折れる。吉野川に沿ってぐねぐね道を進み、大台ヶ原へ向かう案内標識を頼りに右折。国栖トンネルを抜けてすぐに右に曲がると、神社への案内看板があった。

無人だが有料の駐車場があり、封筒に車のナンバーを記入して料金を入れる方式になっていた。目指す神社は吉野川に沿って進んだ先にあるようだ。

途中、吉野川を望む雄大な景色を紹介する案内板が立っていた。そこから見える景色は大台ケ原を源流とする吉野川を挟み、左側が天女が衣を掛けたと伝わる「衣笠山」。右側には大海人皇子が通ったと伝わる「うれし峠」があるとのことだ。

さらに進むと「国栖奏」についての看板もあり、目指す浄見原神社に着いた。神社の真下に流れる吉野川の両岸に岩壁や奇岩があり、緑豊かな中を悠々と流れるその場は天皇淵と言われているという。

神社は天武天皇をまつっている。大海人皇子が吉野で挙兵したと時、国栖に住む人々は大海人皇子に味方して敵の目からかくまい、皇子を慰めるために歌舞を披露したそうだ。それから毎年この神社で奉納され、奈良県無形文化財にも指定されているのが「国栖奏」とのこと。日本書紀にも国栖の人々が応神天皇に歌舞を見せたという記述があるらしい。

吉野川の悠々とした流れを眼下に、岸壁に張り付くように鎮座する神社は、平時ではない時に建てられたのだろうと想像させる。しかし、吉野川の流れと国栖の里の落ち着いた雰囲気は世のけん騒を忘れさせるものがある。2020年は天武天皇が編纂を命じたとされる日本書紀が完成して1300年という記念の年。1300年前も、今とあまり変わらない風景が広がっていたのではないか―。そんな思いになった。(久)

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岸壁に張り付くように建てられた本殿。
すぐ左下には吉野川の悠々とした流れがある

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駐車場から神社へ向かう道
中見られる景色

地図

浄見原神社