特集

奈良再発見 万葉歌碑をめぐる旅


奈良県は現存する日本最古の歌集である万葉集発祥の地。多くの歌がこの地で詠まれ、万葉歌碑という形で私たちに歌の舞台を教えてくれています。外を歩くのに気持ちの良い季節になりました。奈良県に住むからこそ、改めて万葉の地を歩いてみませんか。

万葉歌碑とは

「万葉の大和路を歩く会」代表の富田敏子さんによると、全国で2300碑を超える万葉歌碑があり、奈良県には最も多く336碑が確認されているとのことです(2018年時点)。
 万葉集の魅力は、その土地ごとの四季が歌われ、その土地に行けば時代を戻して感じることができること。また恋の歌が多くロマンがあり、別離の歌、旅の歌なども人々の心をつかみます。万葉集を愛する人が増え、また地元の誇りにしたいと思う人が万葉歌碑という形で残し、昭和、平成と歌碑はどんどん増えているそうです。
 今回、歩いて万葉歌碑を訪ねるコースを富田さんに聞きました。

《天理駅〜石上神宮》

─石上布留の高橋のように、高々と背伸びし、妻が待っているだろう、夜が更けてしまったよ。

竜王山を源とする布留川は、今も天理市内を流れている川。万葉集において「布留」「石上」は多く歌われている地名です。今回は布留川に沿い、石上神宮を目指します。

次に向かうのは天理市役所。富田さんのおすすめは大通りを通らず、布留川に沿って民家の裏通りを通る道です。JR線に沿って南に進み、勘定橋を渡ったところで民家の裏通りを川に沿って東に向かいます。車も通れないような細い路地を進んでいくと、市役所近くの国道にたどり着きます。

市役所の北側に、布留川に沿って建っているのが二つ目の歌碑。

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─愛しい妻よ、私を忘れないでくれ(石上袖振る)布留川のように(お前の元に通うのが)絶えはしないから。

万葉集に最も多く詠まれているのが恋の歌。この地で詠まれている歌も愛しい妻を思う歌が多いようです。

市役所の横を、布留川に沿って石上神宮を目指します。紅葉の季節には黄色く染まるであろう、イチョウ並木を東へ。途中には天理参考館もあるので、寄ってみても良いのでは。左手に天理教会本部を見ながら坂道を上り、石上神宮へ。神宮の入り口を通り過ぎたところにある石上神宮外苑公園の入り口に、まず一つ歌碑があります。

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─石上布留の神杉が神々しいように、古く年をとった私が、いまさらながらあなたとの恋に逢ってしまったよ。

これもやはり恋の歌。女性と交互に読まれた歌です。読み手はおそらく初老の男で、相手の女性は親子ほど年齢が離れているか。石上神宮には今も樹齢300年を超える杉が何本かあります。石上神宮に入り、境内に向かって進むと、大鳥居の手前に、大きな歌碑があります。

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─(をとめが袖を振るという)布留山の古びた垣のように、ずっと久しく、あなたを思っていたのですよ、私は。

石上神宮を参拝し、拝殿の向かいにある出雲建雄神社にも参拝。その奥は山の辺の道の奈良方面に続く道となっています。その道を進むと、(1)の歌に詠まれた「布留の高橋」とされる橋があります。川面は橋の下深くにあり、緑に囲まれた「高橋」は万葉の雰囲気も残しています。橋の上からは小さな滝を見ることもできます。

布留の高橋を過ぎると、バス通りに。天理駅まで戻ると半日のコースになります。山の辺の道はまだまだ続いているので、北に向かい、白川ダムの横を抜けて和爾下神社に向かうと、万葉歌碑も見ることができます。
※バスの本数が少ないので事前に確認を。


《飛鳥駅〜万葉文化館》

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―立っても思い座っても思われてならない、紅色の赤い裳裾を引きずって立ち去ったあの娘の姿を。

揮毫は犬養孝氏(大阪大学名誉教授)。男の家を訪ねて帰っていく女性を見送る歌です。明日香村の歌碑はいろいろな人が揮毫しているため、その文字を楽しむのも一つの方法です。高台にあるため見晴らしがよく、明日香村ののどかな風景が望めます。元の道へ戻る途中には高松塚古墳と中尾山古墳、また高松塚壁画館(有料)があり、また飛鳥歴史公園館でも明日香の情報を得ることができます。時間があれば寄ってみるのも良いでしょう。

先ほどの通りに戻り、今回は天武・持統天皇陵を参拝するルートを通ります。ちょうど万葉集の時代に活躍した2人は明日香村の静かな地に眠っています。 再び通りを少し北に進むと、地下道があり亀石・橘寺方面へ。亀石の前を通り東に進むと、橘寺の西側の参道に万葉歌碑があります。

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―(前略)わが妻が形見に残した幼児が乳をほしいとなくたび、とって与える物もないから、男ながらに脇にはさんであやし(中略)、恋い慕っても会うすべがないので、(大鳥の)羽易の山に私が恋する妻はいると人が言うので、岩根を踏み分け難儀してきたよ(後略)。

妻を亡くした柿本人麻呂が詠んだ挽歌の一首。歌に出てくる「大鳥の羽易の山」(三輪山を頭に、巻向山、竜王山が両翼に見立てている)がここから見えるということで建てられたそうです。坂本信幸奈良女子大学名誉教授の書。

橘寺の境内にも別の歌碑があり、また車通り沿いにも歌碑があります。次に目指すのは、犬養万葉記念館。川原寺との間の道を東に向かいます。明日香村役場を通り過ぎ、突き当りを右に進むと、同館にたどり着きます。

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―ヤマブキの花が咲くそばの山清水、くみに行きたいけれど、その道を知らないことだ。


黄色い山吹と清水で死後の世界「黄泉(よみ)の国」を表しています。十市皇女をしのぶ高市皇子による挽歌です。犬養孝氏は亡き妻の10年祭りでこの挽歌を色紙に記して教え子らに配ったそうです。同記念館が開館した平成12年に色紙から歌碑を建立。記念館の中庭に建てられいます。

犬養万葉記念館ではこの夏に「明日香村の万葉歌碑を歩く」というマップを作成し、無料で配布されています。明日香村にある40以上の万葉歌碑が網羅されてるので、ほかの歌碑をめぐる旅のためにもぜひ手に入れると良いでしょう。

次に向かうのは飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)。案内に沿って少し西に入ると田園風景の中にかつての都の跡が残されており、万葉歌碑があります。

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―采女の袖を吹き返す明日香風、都が遠いので、むなしく吹くよ。

飛鳥浄御原宮から藤原京へ持統天皇が遷都された後、かつての都の地で詠まれた志貴皇子(天智天皇の子)の歌。距離は数キロ、心映えの遠さをうたいます。歌碑は日本画家・平山郁夫氏の字で平成24年に建てられています。同じ歌の万葉歌碑が、ここから西に見える甘樫丘の中腹にも犬養孝氏揮毫で建てられています。 次に目指すのは日本最初の寺である飛鳥寺。境内に、昭和12年に建てられた佐佐木信綱書による万葉歌碑が建てられています。

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―(前略)明日香の古い都は、山は気高く川も雄大である(中略)何を見ても泣けてくる当時のことを思うと。

境内の西門には大化の改新で中大兄皇子に殺された「蘇我入鹿首塚」もあり、歴史の舞台を肌で感じることができます。

今回のコースの最終目的地は県立万葉文化館。歩いてきた道を少し南に戻ると、裏側から会館に入ることができます。

会館の前庭に6基の万葉歌碑が現代書家の揮毫により作られ、それぞれの趣ある文字を楽しむことができます。ほかにも周辺にいくつか歌碑があり、駐車場に昨年平成31年3月に建てられたのがこの歌碑です。

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―八釣川の水底絶えず流れて行く水のように、絶えず恋い慕うことよ、この幾年も。

揮毫は明日香村とも縁の深い、漫画家の里中満智子氏。万葉女性のイラスト入りの歌碑は明日香村では初めてとのことです。

この先、少し足を延ばせば飛鳥坐神社にも万葉歌碑はあります。またルートを少し変えるだけでも、違った万葉の歌に出会えます。

「歩くと古代が見えてくる」と話す富田さんは、「万葉の大和路を歩く会」で40年近く万葉縁の地を歩いてめぐっています。奈良県には古代からつながる地が残っています。この秋、万葉歌碑をめぐって古くて新しい奈良を見つけませんか。


このページの内容は2020年10月2日現在のものです。




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