戦国ロマンにひたる秋 大和の城めぐり

今、空前の城ブームが訪れています。奈良の歴史というと古代までさかのぼりがちですが、中世には奈良にも多くの城が建てられています。今は石垣などしか残っていない城跡がほとんどですが、その地を訪れると古(いにしえ)の武士たちが見ていた風景を想像したりとロマンいっぱい。

この秋、あなたも城を"攻めて″みませんか。

城郭考古学者・千田嘉博さんに聞く「お城の楽しみ方」

千田嘉博氏千田 嘉博  氏
(撮影:畠中 和久)
奈良に「城」は多くあるでしょうか?

実は奈良の中・近世の城は、全国的に見てもすごいのです。県内には400カ所を越える城跡が残っています。そして中世の奈良は日本屈指の技術の集積都市でした。興福寺をはじめとした寺院が守り伝えた建築・土木技術が、近世城郭を生み出す原動力になりました。織田信長の安土城より早く、松永久秀が瓦葺きで白い漆喰の壁をもった奈良市の多聞城を築けたのは、奈良だったからです。

お城の魅力は何でしょう?

古代の遺跡は教育委員会の専門家が発掘しないとわかりません。しかし中・近世の城跡は堀や石垣が埋まりきっておらずに見られるので、誰でも現地を訪ねれば自分の五感で歴史を考えられます。歴史を解明する楽しさが広がって、もうブームではなく城歩きはひとつの趣味になったと思います。

お城を訪ねた時に注目すると良い点は?

天守や櫓といった建物だけでなく、堀や石垣、土塁(防御のための土手)をどう組み合わせて守ったかに注意して歩くとよいと思います。天守が残る城は12しかありませんが、堀などが残る城は全国で3万カ所もあるので、どこへ行っても楽しめます。

先生おすすめの奈良の城を教えてください。

先日放送されたNHK「日本最強の城スペシャル」で、堂々全国1位になった高取町の高取城、調査が進んだ宇陀市の宇陀松山城は、誰が訪ねても驚くと思います。平群町の信貴山城は、信貴山城址保全研究会のご尽力で伝松永屋敷の環境整備ができました。訪ねれば歴史の謎解きを楽しんでいただけると思います。

9月9日(日)13時〜、明日香村の石舞台横「あすか風舞台」にて千田嘉博さんによるおもしろ歴史トーク「大和の城めぐり」を開催。参加無料。詳細はこちらでご覧いただけます。

高取城高取町

日本最強の城にも選出
トレッキングにも人気

日本三大山城の一つで、日本100名城にも選ばれている高取城。今は石垣しか残っていませんが、城郭のある様子が明治20年ごろの写真に撮られて残っています。城下町から見た城は2900mにも渡り築かれた漆喰(しっくい)の壁が雪のように見え「芙蓉城」とも呼ばれたそうです。

南北朝時代に越智氏が築いたのが最初とされますが、石垣がある城郭が造られたのは豊臣秀吉の時代。「石垣の積み方に織豊期の特徴が見られます」と話すのは、たかとり観光ボランティアガイドの会会長の岡本重隆さん(76)。標高584mの山の上に人力だけで造られたまさに難攻不落の城。今はトレッキングに訪れる人も多く、秋には紅葉も楽しめます。

高取城の国見櫓

岡本さんおすすめは「国見櫓」。大和平野はもちろん、金剛山や葛城山を正面に、その向こうには六甲山や大阪市内のビルが肉眼でも見ることができる。ルートから少し外れるがぜひ寄ってみたい

高取城の石垣
かつては芙蓉城とも
苔むす石垣に往時を

総延長3600mにも及ぶ石垣が迷路のように天守まで導く様子は必見。ARアプリを使って、CGで再現した往時の高取城の姿と、目の前の石垣を見比べることもできる

近鉄吉野線「壺阪山駅」から土佐街道を経て徒歩約2時間
地図配布や土産物販売  高取城の再現CGも

土佐街道沿いにある観光案内所「夢創舘」では、高取城までの地図などを配布。土産物も販売しています。

高取城にちなんだ城せんべいは卵をたっぷり使い、見た目より柔らかいせんべい。大和当帰の湯やキズリバテープ、地元加工品グループが作る味付け味噌なども人気です。

また奈良産業大学(現奈良学園大学)が再現した高取城のCG映像を見ることもできます(無料)。日本100名城のスタンプもここにあるので、城めぐりの際はぜひ寄ってみたいポイントです。

観光案内所「夢創舘」
  • TEL/0744-52-1150

  • 住所/高取町上土佐20-2

  • 営業/9時30分~16時30分

  • 休館日/月曜日

十市城橿原市

戦国時代に十市氏
龍王山城をも築く

大和の豪族であった十市氏が築いた城、十市(とおいち)城は平野部にあります。鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城にしました。現在の城跡は、畑の真ん中にあり、自治体による木の標識が案内看板。十市城跡にはりっぱな石碑があります。

室町時代末期、最盛期の十市遠忠の代に山城である龍王山城(天理市)を築きました。遠忠が急死してからは息子遠勝が筒井氏側、松永氏側と分裂したが、衰退の道へとたどることになりました。

十市城跡

十市城跡から龍王山が見える。両城を築いたかつての十市氏の勢力が分かる。戦国時代、松永氏に龍王山城が渡り、最後は織田信長の命により廃城となった

竜王山城跡

十市城跡は橿原市に、龍王山城跡は天理市に。十市城は国道24号線「十市」交差点より東へ徒歩約5分。龍王山城はがけ崩れのため車は不可。11月くらい開通予定

車で石碑まで行くには、十市橋北詰交差点から東へ大門橋のところを鋭角に西に入りそのまま北へ畑の西寄りにある

郡山城大和郡山市

石垣から墓石や地蔵
領民協力で建った城

豊臣秀吉の命を受け、1584年に大和大納言豊臣秀長は百万石の領主として郡山に入り築城しました。1600年、関ケ原の戦いから徳川の世になって廃城解体。城としての役割はたった十数年だったと推定されています。

徳川時代、1724年に柳澤吉里が藩主となり、その後6代150年にわたって柳澤家の治世が続きましたが、平和だったため天守の再建はなかったと伝えられています。

「石垣は築石、裏込め、盛り土の三層構造。今回の発掘調査で裏込めから、たくさんの墓石、五輪塔、石塔、地蔵が見つかったのです。それらを領民が運び、築城に協力したと考えられています。400年経てもりっぱな野面(のづら)積みの石垣を見に来てください」と同市都市計画課城守の仲敬可さん(63)は力強く話します。

郡山城天守台

天守台展望施設で9月24日17時~20時30分「観月会」開催。入場無料。古事記朗誦。雅楽演奏。有料茶会。スズムシの音色も。TEL:0743-53-1689(都市計画課)

郡山城天守礎石
天守の文献少なく
発掘調査で明らかに

平成25年から4年間行った発掘調査で天守の礎石が発見。その規模から3階以上の建物であったとか。平成29年にできた天守台展望施設にて礎石を見ることができる

近鉄大和郡山駅からすぐ
郡山城の情報はhttps://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/ourcity/history/shiseki/000242.html
郡山城CG再現プロジェクトもある。協力・奈良産業大学(現奈良学園大学)

ココシル大和郡山アプリでは、郡山城跡の全体像や天守の再現、またお城まつりの情報もある

多聞城奈良市

城郭史上画期的な城
信長が御殿を再利用

今から約450年前、戦国武将の松永久秀が、多聞山一帯に築いた城。現在は、奈良市立若草中学校の校舎が建っています。

多聞城ファン倶楽部代表で元若草中学校教諭の北村雅昭さんによると、「多聞城は、城郭史上画期的な城」とのこと。詳細については、近くにある若草公民館で展示や資料配布を行っています。ポルトガル人宣教師が書簡の中で「世界中にこの城ほど善且つ美なるものはないと思われる」と述べるなど興味深い話が多数。関東からもファンが訪ねてくるそうです。

若草中学校門前の多聞城説明看板

若草中学の校門前には多聞城の説明看板が―。周辺には、堀切跡や土塁跡が残る。多聞城について知りたいときは、若草公民館に資料がある

近鉄奈良駅から奈良交通バスで「手貝町」または「今在家」バス停下車徒歩約5分または近鉄奈良駅より徒歩15分。
若草公民館
  • TEL/0742-26-0130

  • 住所/奈良市川上町575

  • 開館時間/9時~17時

  • 休館日/月曜・祝日

宇陀松山城宇陀市

近世初期城郭の特徴を保持
書状にある城割の様子

まちづくりセンター(千軒舎)から広くなだらかな登り道を行き、そこから石垣を随所に見ながら草深い山道を上がっていくと、平らに開けた城の本丸にたどり着きます。城跡の本丸や天守郭からは、遠く高見山や大峰山系まで見晴らすことができ、稜線を重ねる墨絵のような風景に心癒されます。

国史跡の宇陀松山城は、もとは宇陀三将といわれた秋山氏の本城(秋山城)として築かれました。秀吉の時代には豊臣家配下の大名の居城として改修・整備が行われ、大和国支配の拠点に―。しかし、大坂夏の陣直後に城は取り壊されました。この城割を担った小堀遠州の書状には、その様子が記され、貴重な資料になっています。昨年「続日本名城100選」にも選出され、山城ファンが続々と訪れています。

宇陀松山城松山西口関門
続日本名城100選に
城跡からの眺望を楽しむ

松山西口関門。城下町の面影をしのばせる唯一の建造物

宇陀松山城跡

標高473m。城跡の中心である本丸や天守郭からの眺望は素晴らしく、県景観資産にも登録されている。江戸時代後期〜明治の建造物が数多く残る、風情ある町並み歩きと共に楽しみたい

近鉄榛原駅から奈良交通バス「大宇陀」行きで約15分
重要伝統的建造物群保存地区  見どころいっぱいの町並み

松山地区には、今なお江戸時代後期から明治時代にかけての建造物が数多く残り、見どころもたくさんあります。国史跡の松山西口関門は400年前の建築。地元では黒門として親しまれています。また、天寿丸の看板が目を引く「薬の館」はシンボル的存在。和菓子やフランス菓子、カフェや陶芸工房、ロシアン雑貨など個性的な店も多く、町歩きを楽しめます。

まちづくりセンター千軒舎
まちづくりセンターの千軒舎も伝統的な町家。情報発信の拠点でもあり、宇陀松山城の資料も展示。バーチャルVRを見ることもできる(10月まで)
松山地区まちづくりセンター「千軒舎」

10月20日(土)21日(日)に宇陀松山華小路を開催。多彩なダリアの花で歴史的な町並みを彩るイベント。問い合わせTEL:080-2547-1980(実行委員会)

椿井城平群町

平群谷を一望できる
嶋左近ゆかりの山城

石田三成に三顧の礼をもって懇願されて仕官したといわれる戦国の武将・嶋左近が居城としていたと伝わる椿井城。矢田山丘陵の南西端に位置する尾根上に、南北300m以上にわたり築造された山城です。

南北2つの頂部があり北郭・南郭とされていますが、現在見学路の整備や遺構の保護作業のため北郭は見学できません。南郭へは椿井井戸近くの登城口または椿井春日神社境内の登城口から山道を約15~20分で城跡に着きますが、道幅が狭くなっている箇所もあり、高低差もあるため滑りにくい靴がおすすめです。

南副郭跡から見た平群谷

聖徳太子の逸話も残る椿井井戸の横から杖を借りて進む。南郭からは平群谷を一望できる(写真は南副郭跡から見た平群谷)

近鉄生駒線「竜田川駅」から徒歩約50分。車の場合は道の駅「くまがしステーション」に駐車、徒歩約50分。国道168号線を渡り、住宅地を案内板に沿って登城口まで進む

このページの内容は2018年9月7日現在のものです。





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