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斑鳩神社(斑鳩町) 調整池のほとり 人工丘の守り神

斑鳩神社

 斑鳩町に町名と同名の神社があると聞き、まず調べてみることにした。斑鳩神社は法隆寺の鎮守4社の1つで菅原道真公を祀っているとある。かつて法隆寺村と呼ばれていた場所でなぜ斑鳩町となったか。神社と関連しているのか疑問に思い訪ねてみることにした。

 

 バス停から法隆寺の松並木がある参道を通り、境内の中まで進む。そのまま東大門を目指す。門から出て法隆寺の壁面沿いに北方面に進むとやがて家並みが現れ る。突き当たりは池になるそれを避けるように左右に道が分かれている。ここを東に折れて進めば神社の森が見えてくる。

 

 「この斑鳩神社は神職であった伊香留我伊香志男命(いかるがいかしおのみこと)の名前からついたものだと聞いています。また斑鳩町の由来は斑(まだら)な 鳩が飛んでいたことからこの名がつきました。偶然ではありますが同じ名前なのです」と斑鳩神社宮司の志村哲夫さん(69)は話す。

 

 かつて斑鳩神社は法隆寺の境内にあった。明治の神仏分離令のため神社移動を余儀なくされた。神社は丘の上に建てることを理想としたが辺りには丘がな い。ちょうどそのころ水不足で農業用の調整池が必要となる。池を作るときに掘った土を盛り丘を作り、その上に移築が決まったのだ。

 

 10月の第2日曜のある土・日曜日にお旅所の法隆寺にお渡りする。かつての場所に神が里帰りをするためだ。その際住民たちも参列しにぎやかなお渡りになる。さまざまな神社の行事には住民が支え、また積極的に参加している。

 

 境内は菅原道真公の紋章である梅の木があちらこちらで見られる。1324年元享4年に創建されてずっとこの地の氏神様として祭られてきた。

 

 「神社は1000年周期に千年祭を行います。なぜか明治35年吉日千年祭と書かれた石碑が境内にあります。確かなことは分かりませんが1324年より以前にすでに神社として存在していたのではないかと思っているのです」と謎を話す志村さん。

 

志村さんと牛

 拝殿も社務所も住民たちの寄付で修理。毎日のように誰かが掃除をして境内に落ち葉1つ見当たらない。地域の人たちに愛された神社だ。

 

 目の前の調整池にはカモが悠々と泳いでいた。野鳥の声だけが聞こえる、雑踏と縁遠い静かな時間を刻んでいた。(え)

アクセスマップ

地図

斑鳩神社

生駒郡斑鳩町

※このページの内容は2009年6月26日現在のものです。

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