栃尾観音堂 (天川村) 堂守が守り続ける円空仏 人を魅了するほほ笑み
天川村に入り、川合の交差点を右折する。天ノ川に沿って天河辨財天社も通り過ぎ、しばらく進むと栃尾という集落があり、ここに円空仏がまつられている栃尾観音堂がある。
江戸時代初期の1632年に美濃の国に生まれた円空は、23歳で出家。32歳の時に木仏12万体を作る悲願を立てて各地を回り、64歳で亡くなるまで多種多様な仏像や神像を掘り残している。その仏像は円空仏と称されている。
栃尾観音堂には聖観音菩薩立像、大弁財天女立像、金剛童子立像、護法神像の4体と、聖観音菩薩立像の胎内から発見された胎内仏が安置されている。小さなお堂に4体もの円空仏が納められていることは珍しいという。
「円空さんはうちに泊まって、朝になると堂の谷(どんたに)に通って仏像を彫っていたそうです」と話すのは堂守である瀬上章さん(77)。江戸時代、庄屋だったという瀬上さんの家には円空が仏像を彫る時に使うなたを貸したり、法隆寺へ向かう円空に着物を縫って送り出したという話が伝わっているそうだ。
「泊めてもらったお礼に仏像を彫ったのではないか」と瀬上さんは話す。また「親父は仏像を浮袋の代わりにして川に入って遊んでいた」とも。
円空仏には不思議な魅力があり、慕う人も多い。毎年4月に行われる円空会式には多くの人が訪れるという。
瀬上さんは毎朝お堂の鍵を開け、夕方には閉めてお堂を守り続けている。お堂を管理するため、今年からオリジナルのストラップや念珠を作って販売も始めた。購入するとガラス戸も開け直接拝むことができるという。
照明に照らされた円空仏は、なたで作られたという力強さと同時に、穏やかなほほ笑みが見る人の心を癒やす。瀬上さんに円空仏の魅力を聞くと、「毎日見ているから」との言葉。その言葉の中に、先祖代々受け継いでいる円空仏への親しみを感じた。
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※このページの内容は2020年9月4日現在のものです。